金森事件
1941年10月2日、日本統治下の朝鮮・釜山府の朝鮮製綱株式会社の工場で発生した放火事件。隣接する日本帆布合名会社の職工監督・金森健士(当時42歳)が放火犯として逮捕・起訴され、拷問により自白を強要された。1942年6月30日に釜山地方法院で有罪判決、同年8月21日に大邱覆審法院が懲役15年を言い渡し、10月26日に京城高等法院が上告を棄却して確定した。戦後内地に移送され熊本刑務所等で服役。1947年仮釈放後、独自に無実を訴え続け、中国人放火常習者・干文柱の存在を契機に再審を勝ち取り、1969年6月28日に大阪高裁が再審開始決定、1970年1月28日に再審無罪判決を言い渡した。戦前発生事件で戦後に無罪となった最初の再審事件。
1941年10月2日、日本統治下の朝鮮・釜山府の朝鮮製綱株式会社の工場で発生した放火事件。隣接する日本帆布合名会社の職工監督・金森健士(当時42歳)が放火犯として逮捕・起訴され、拷問により自白を強要された。1942年6月30日に釜山地方法院で有罪判決、同年8月21日に大邱覆審法院が懲役15年を言い渡し、10月26日に京城高等法院が上告を棄却して確定した。戦後内地に移送され熊本刑務所等で服役。1947年仮釈放後、独自に無実を訴え続け、中国人放火常習者・干文柱の存在を契機に再審を勝ち取り、1969年6月28日に大阪高裁が再審開始決定、1970年1月28日に再審無罪判決を言い渡した。戦前発生事件で戦後に無罪となった最初の再審事件。
- 事件発生
- 1941年
- 被告人
- 判決
- 懲役15年
- 現在のステータス
- 無罪確定
- 冤罪の原因
- 自白強要、目撃証言の問題、見込み捜査
タイムライン
朝鮮釜山の朝鮮製綱工場で火災発生・全焼
建造物放火罪で起訴
釜山地方法院が有罪判決。日本統治下の判決原本は廃棄されており、一審が言い渡した刑は確認できない
大邱覆審法院が懲役15年を言い渡した。覆審法院は控訴審だが事件全体を審理し直す制度で、控訴を棄却するのではなく自ら判決を言い渡す。工場長への報復目的で製綱原料に点火したと認定された
京城高等法院が上告を棄却。大邱覆審法院の懲役15年が確定判決となった
熊本刑務所から仮釈放
大阪高裁が再審開始を決定
大阪高裁が無罪判決、検察控訴せず確定
無罪確定の翌年に死去(享年71)