加藤老事件
加藤新一(かとう しんいち)
1915年7月11日、山口県豊浦郡殿居村(現・下関市)の水田で炭焼きの男性が殺害された強盗殺人事件。加藤新一は他者の虚偽供述により共犯として逮捕され、山口地裁・広島控訴院がいずれも無期懲役とし、大審院の上告棄却で確定した。1930年に仮出所した後も無実を訴え続け、1963年から独力で再審請求を重ねた。1975年の白鳥決定を受けて日弁連が支援を再開し、第6次再審請求で1976年に再審開始が決定。1977年7月7日、広島高裁が無罪を言い渡した。事件から62年、加藤は86歳になっていた。日本の冤罪事件史上もっとも長い闘いの一つである。
1915年7月11日、山口県豊浦郡殿居村(現・下関市)の水田で炭焼きの男性が殺害された強盗殺人事件。加藤新一は他者の虚偽供述により共犯として逮捕され、山口地裁・広島控訴院がいずれも無期懲役とし、大審院の上告棄却で確定した。1930年に仮出所した後も無実を訴え続け、1963年から独力で再審請求を重ねた。1975年の白鳥決定を受けて日弁連が支援を再開し、第6次再審請求で1976年に再審開始が決定。1977年7月7日、広島高裁が無罪を言い渡した。事件から62年、加藤は86歳になっていた。日本の冤罪事件史上もっとも長い闘いの一つである。
- 事件発生
- 1915年
- 被告人
- 加藤新一(かとう しんいち)
- 判決
- 無期懲役→再審無罪
- 現在のステータス
- 無罪確定
- 冤罪の原因
- 自白強要
タイムライン
1915年7月11日朝、山口県豊浦郡殿居村(現・下関市豊田町殿居)の水田で、炭焼きの男性(50歳)が刃物で全身を切られ殺害されているのが見つかった。被害者は博打で金を貯めていると評判で、自宅が荒らされていたことから強盗の線で捜査が始まった
1915年7月25日、他者の虚偽供述により、加藤新一が強盗殺人の共犯として逮捕された
1916年、山口地裁が無期懲役の判決を言い渡した
1916年8月4日、広島控訴院が控訴を退け無期懲役とした
加藤は上告したが、同年のうちに大審院が上告を棄却し、無期懲役が確定した
服役から14年後の1930年に仮出所した。その後も一貫して無実を訴え続けた
1963年の吉田岩窟王事件の再審無罪を知り、同年から1974年までに独力で5度の再審請求を行ったが、いずれも棄却された。1972年には日弁連が調査に入ったが支援を見送っている
1975年の白鳥決定(再審にも「疑わしきは被告人の利益に」の原則が及ぶとした最高裁決定)を受け、日弁連が支援を再開。第6次再審請求につながった
1976年9月18日、広島高裁が第6次再審請求について再審開始を決定した
1977年7月7日、広島高裁(干場義秋裁判長)が無罪を言い渡した。事件から62年、加藤は86歳になっていた
1980年4月29日、89歳で死去した