ロス疑惑
三浦 和義(みうら かずよし)
1981年11月18日、ロサンゼルスの駐車場で三浦和義と妻の一美さんが銃撃され、一美さんは翌1982年11月30日に死亡した(銃撃事件)。1984年に週刊文春が「疑惑の銃弾」の連載を始め、保険金目当ての殺人であり三浦が黒幕だとする報道が過熱した。
1985年9月11日、三浦は同年より前の1981年8月に妻が殴打された事件(殴打事件)について殺人未遂の容疑で逮捕され、以後約13年間にわたって身柄を拘束された。殴打事件については懲役6年の有罪が確定している。
銃撃事件については、1994年3月31日に東京地裁が氏名不詳者との共謀による殺人として無期懲役を言い渡したが、1998年7月1日、東京高裁が一審判決を破棄自判して逆転無罪とした。検察官の上告に対し、2003年3月5日、最高裁第三小法廷は「被告人が氏名不詳者と共謀の上被告人の妻を殺害したと認めるにはなお合理的な疑いが残るとした原判決の判断」を是認して上告を棄却し、無罪が確定した。
報道被害と長期勾留の象徴的事件として知られる。主任弁護人は弘中惇一郎。2008年2月にサイパンでロサンゼルス市警に逮捕され、同年10月10日、移送先の留置施設で死亡した。
1981年11月18日、ロサンゼルスの駐車場で三浦和義と妻の一美さんが銃撃され、一美さんは翌1982年11月30日に死亡した(銃撃事件)。1984年に週刊文春が「疑惑の銃弾」の連載を始め、保険金目当ての殺人であり三浦が黒幕だとする報道が過熱した。 1985年9月11日、三浦は同年より前の1981年8月に妻が殴打された事件(殴打事件)について殺人未遂の容疑で逮捕され、以後約13年間にわたって身柄を拘束された。殴打事件については懲役6年の有罪が確定している。 銃撃事件については、1994年3月31日に東京地裁が氏名不詳者との共謀による殺人として無期懲役を言い渡したが、1998年7月1日、東京高裁が一審判決を破棄自判して逆転無罪とした。検察官の上告に対し、2003年3月5日、最高裁第三小法廷は「被告人が氏名不詳者と共謀の上被告人の妻を殺害したと認めるにはなお合理的な疑いが残るとした原判決の判断」を是認して上告を棄却し、無罪が確定した。 報道被害と長期勾留の象徴的事件として知られる。主任弁護人は弘中惇一郎。2008年2月にサイパンでロサンゼルス市警に逮捕され、同年10月10日、移送先の留置施設で死亡した。
- 事件発生
- 1981年
- 被告人
- 三浦 和義(みうら かずよし)
- 判決
- 銃撃事件:一審 無期懲役(1994年、東京地裁)→ 控訴審 破棄自判・逆転無罪(1998年、東京高裁)→ 最高裁が上告棄却し無罪確定(2003年)/殴打事件:懲役6年が確定
- 現在のステータス
- 無罪確定
- 冤罪の原因
- 客観的証拠の欠如、犯人視報道
タイムライン
1981年8月、ロサンゼルスの宿泊先で三浦一美さんが何者かに殴打され負傷した(殴打事件)。三浦和義はのちにこの事件で殺人未遂罪に問われ、懲役6年の有罪が確定している
1981年11月18日午前11時5分頃、ロサンゼルスの駐車場で三浦和義と妻の一美さんが銃撃された。一美さんは頭部を撃たれ重体となった
1982年11月30日、一美さんが意識の戻らないまま死亡した
週刊文春が保険金殺人疑惑の連載を開始。メディア報道が過熱
1985年9月11日、殴打事件について殺人未遂の容疑で逮捕された。ここから約13年間におよぶ身柄拘束が始まる。銃撃事件(殺人・詐欺)での起訴はその後になる
1994年3月31日、東京地裁が銃撃事件について、氏名不詳者と共謀して妻を殺害したとして無期懲役の判決を言い渡した
1998年7月1日、東京高裁が一審判決を破棄自判し、逆転無罪を言い渡した。氏名不詳者との共謀を認めるには合理的な疑いが残るとした
控訴審の無罪判決を受けて身柄拘束が解かれた。1985年9月の逮捕から約13年にわたる勾留だった
2003年3月5日、最高裁第三小法廷が検察官の上告を棄却する決定をし、銃撃事件の無罪が確定した(平成10年(あ)1097号 殺人,詐欺被告事件、集刑283号345頁)。決定は「被告人が氏名不詳者と共謀の上被告人の妻を殺害したと認めるにはなお合理的な疑いが残るとした原判決の判断」を是認した
2月22日、サイパンでロサンゼルス市警に殺人容疑で逮捕。一事不再理が争点に
10月10日、ロサンゼルス市警留置施設で首を吊って死亡。自殺と発表されるが弁護側は他殺を主張


