松山事件
斎藤 幸夫(さいとう ゆきお)
狭義の冤罪無罪確定
1955年、宮城県松山町で一家4人が殺害・放火された事件。斎藤幸夫が死刑確定後、第2次再審請求で1984年に無罪確定。警察が留置所にスパイを送り込んで自白に追い込んでいたことが判明。掛け布団の血痕は警察の捏造と認定された。
逮捕年
1955
無罪確定年
1984
期間
29年
確定判決
死刑→再審無罪
都道府県
宮城県
地域
東北
捜査機関
宮城県警
時代
現代
刑事手続き進行度
捜査
逮捕
起訴
一審
控訴審
上告審
確定
服役
✓
再審逮捕起訴一審死刑確定服役→ 再審無罪
通過有罪等無罪等進行中
タイムライン
事件不利有利手続事後
1955.10事件発生
宮城県松山町の農家が全焼し、一家4人の焼死体を発見
1955.11斎藤幸夫 逮捕
捜査が暗礁に乗り上げた後、斎藤幸夫が逮捕される
警察は留置所に前科5犯のスパイを送り込み、「裁判で否定すればいい」と言って自白に追い込んだ
1957.02一審 死刑判決
仙台地裁が死刑判決
1960.11上告棄却・死刑確定
最高裁が上告を棄却。死刑確定
1979.12第2次再審 開始決定
仙台地裁が再審開始を決定。掛け布団の血痕が捏造であると認定
証拠とされた男性の掛け布団の血痕は警察の捏造と認定された
1984.07再審無罪判決
仙台地裁が無罪判決。28年7ヶ月の獄中生活に終止符
2006.07斎藤幸夫 死去
多臓器不全のため75歳で死去。晩年は生活保護を受給していた