1955年、宮城県松山町で一家4人が殺害・放火された事件。斎藤幸夫が死刑確定後、第2次再審請求で1984年に無罪確定。警察が留置所にスパイを送り込んで自白に追い込んでいたことが判明。掛け布団の血痕は警察の捏造と認定された。
1955年、宮城県松山町で一家4人が殺害・放火された事件。斎藤幸夫が死刑確定後、第2次再審請求で1984年に無罪確定。警察が留置所にスパイを送り込んで自白に追い込んでいたことが判明。掛け布団の血痕は警察の捏造と認定された。
- 事件発生
- 1955年
- 被告人
- 斎藤 幸夫(さいとう ゆきお)
- 判決
- 死刑→再審無罪
- 現在のステータス
- 無罪確定
- 冤罪の原因
- 自白強要、鑑定の問題
- 支援
- 日本弁護士連合会
タイムライン
1955年10月18日未明、宮城県志田郡松山町(現・大崎市)の農家が全焼し、一家4人の焼死体が発見された。4人にはいずれも刃物による頭部の損傷があった
1955年12月2日に別件逮捕、12月8日に本件で再逮捕
1957年10月29日、仙台地裁古川支部が死刑判決
1959年5月26日、仙台高裁が控訴を棄却
1960年11月1日、最高裁が上告を棄却。死刑確定
1979年12月6日、仙台地裁第二刑事部が再審開始を決定。掛け布団の血痕について、旧鑑定の証拠価値は著しく減殺され、被告人の着衣には当初から血痕が付着していなかった蓋然性が高いとした
仙台高裁第二刑事部が、仙台地裁の再審開始決定に対する検察官の不服申立てを退け、再審開始を支持する決定をした。これにより再審開始が確定した
1984年7月11日、仙台地裁が無罪を言い渡し、直ちに身柄の釈放を命じた。28年7ヶ月の獄中生活に終止符
2006年7月5日、多臓器不全のため75歳で死去
参考リンク
参考文献
免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の四大死刑再審無罪事件の雪冤後の波乱の人生をたどり、再審開始が決定した袴田事件、無実を証明する前に処刑された飯塚事件を徹底検証する。冤罪そのものの構造と、雪冤の先に何があるのかを綴る。インパクト出版会刊。
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