1950年、香川県財田村で闇米ブローカーが殺害された事件。谷口繁義は19歳で逮捕され、代用監獄での過酷な取調べにより自白を強要された。棄却決定の中で裁判官が「財田川よ、心あらば真実を教えて欲しい」と述べたことでも知られる。
1976年10月12日、最高裁第一小法廷は特別抗告審で原決定を破棄して高松地裁に差し戻し、再審開始の要件である「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」について、確定判決の事実認定の正当性への疑いが合理的な理由に基づくかどうかを判断すれば足りると判示した。前年の白鳥決定が示した「疑わしきは被告人の利益に」の原則を再審請求に初めて具体的に適用したもので、「白鳥・財田川決定」として以後の再審の判断基準となっている。
差戻後の1979年に再審開始が決定され、1984年3月12日に高松地裁丸亀支部が無罪を言い渡し、同月23日に検察の控訴断念で確定した。
1950年、香川県財田村で闇米ブローカーが殺害された事件。谷口繁義は19歳で逮捕され、代用監獄での過酷な取調べにより自白を強要された。棄却決定の中で裁判官が「財田川よ、心あらば真実を教えて欲しい」と述べたことでも知られる。 1976年10月12日、最高裁第一小法廷は特別抗告審で原決定を破棄して高松地裁に差し戻し、再審開始の要件である「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」について、確定判決の事実認定の正当性への疑いが合理的な理由に基づくかどうかを判断すれば足りると判示した。前年の白鳥決定が示した「疑わしきは被告人の利益に」の原則を再審請求に初めて具体的に適用したもので、「白鳥・財田川決定」として以後の再審の判断基準となっている。 差戻後の1979年に再審開始が決定され、1984年3月12日に高松地裁丸亀支部が無罪を言い渡し、同月23日に検察の控訴断念で確定した。
- 事件発生
- 1950年
- 被告人
- 谷口 繁義(たにぐち しげよし)
- 判決
- 死刑→再審無罪
- 現在のステータス
- 無罪確定
- 冤罪の原因
- 自白強要、鑑定の問題
- 支援
- 日本弁護士連合会
タイムライン
1950年2月28日、香川県三豊郡財田村で闇米ブローカーの男性が殺害される
別件の農協強盗容疑で逮捕後、本件について取調べ。当時19歳
1952年2月20日、高松地裁丸亀支部が死刑判決。谷口は公判では一貫して無実を訴えた
6月8日、高松高裁が控訴を棄却
1月22日、最高裁が上告を棄却。死刑確定
1964年に谷口が裁判所に送った再鑑定を求める手紙が5年後に発見される
高松地裁丸亀支部が再審請求を棄却。裁判官が「財田川よ、心あらば真実を教えて欲しい」と述べる
高松高裁が再審請求棄却に対する抗告を棄却。谷口側が最高裁に特別抗告した
最高裁第一小法廷が特別抗告審で原決定を破棄し高松地裁に差し戻した(昭和49年(し)118号、刑集30巻9号1673頁)。「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」の判断について「確定判決が認定した犯罪事実の不存在が確実であるとの心証を得ることを必要とするものではなく、確定判決における事実認定の正当性についての疑いが合理的な理由に基づくものであるかどうかを判断すれば足りる」と判示し、前年の白鳥決定が示した「疑わしきは被告人の利益に」の原則を再審請求に初めて具体的に適用した。両者をあわせて「白鳥・財田川決定」と呼ばれ、以後の再審の判断基準となっている
1979年6月7日、高松地裁丸亀支部が再審開始を決定
1981年3月14日、高松高裁が検察の即時抗告を棄却し再審開始確定
1984年3月12日、高松地裁丸亀支部が無罪判決
1984年3月23日、検察が控訴を断念し無罪判決が確定
2005年7月26日、脳梗塞で入院していた香川県琴平町で死去。74歳
参考リンク
参考文献
袴田事件(最高裁差戻し)と布川事件(国賠勝訴)を巻頭特集。甲山事件・小石川事件・天竜林業高校事件・倉敷民商事件・和歌山毒カレー事件なども収録。燦燈出版。
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Amazonで見る ↗免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の四大死刑再審無罪事件の雪冤後の波乱の人生をたどり、再審開始が決定した袴田事件、無実を証明する前に処刑された飯塚事件を徹底検証する。冤罪そのものの構造と、雪冤の先に何があるのかを綴る。インパクト出版会刊。
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